死神の仕事は、死者を霊界へ導くこと。死者を現世に放置すると、悪霊となる場合がある。霊界は悪霊を受け入れたくないのだ。
だから死神は、常に「死にそうな人間」を監視していなければならないが、要領よく仕事を回して楽をしようとする死神もいるのである。
*
ビルの屋上で、転落防止用の柵に手を掛けた男を死神が見つけた。男は、柵を乗り越えるかやめるか、どうにも決心が付かない様子だ。
「チャンスだ」
独り言を口にしながら、死神が男に近づく。背後から声を掛けた。
「迷っているんですね」
突然、声を掛けられ、びっくりした男が振り向く。
「あんた、誰……」
「死神です。そんなことより、あなた、柵を乗り越えないのですか」
男は答えない。柵へと顔を戻し、ため息をついた。死神が続ける。
「では私が、あなたに未来をご覧に入れましょう」
男が再度、死神の方へ顔を向けだしたとき、意識が飛んだ。
男は、自分が柵を乗り越えて、ビルの屋上から飛び降りる様子を見ていた。地面に落ちた体が不自然に曲がり絶命している。それを確認すると、今度は車を運転中に正面からトラックがぶつかってきた。男の全身は車内で押しつぶされた。次に、自宅のベッドに横たわる自分を見る。真っ赤な炎に包まれ、自らの体が炭のようになったとき、男の意識が戻った。屋上の柵に手を掛けていたさっきのままだった。
「いかがでしたか。これがあなたの未来です」
死神が言う。続けた。
「どのみちあなたは死ぬのです。それなら今ここで、けりを付けた方がいいですよ。悩まずに、すぐに死んでしまった方が絶対にいいですよ」
聞きながら男は、違和感を持った。死神に急(せ)かされているような気がしたからだ。
しかしそんな思いはすぐに消えてしまった。死神が見せてくれたものが自分の未来なら、どうしたって死ぬ運命なのだ。それならいっそ今ここで、と思い、柵に右足を掛けた。
そのとき、ズボンの左足の膝辺りを何かが引っ張った。左下を見ると、二つの目が自分を見上げている。小さな女の子がつんつんとズボンをひっぱり、まん丸の目で何かを訴えていた。それを見た男は、へなへなとその場に座り込んでしまう。そして女の子をきつく抱きしめる
「ごめんよ、理菜」と何度も大きな声で言い、泣き崩れた。
どれくらい泣いていただろう。男は立ち上がり、死神に言った。
「もうちょっと生きてみます。たとえ寿命が短くても」
言い終わると娘の手をとり、屋上への出入り口へと歩いていった。その先で、目に涙を溜めながらも、かすかに微笑んだ女性がこちらを見ていた。
親子三人の後ろ姿を見送りながら、死神がつぶやく。
「希望を見つけたヤツを騙(だま)すのは難しいってことだな」
ズルをして成績を上げるのはやめようと反省した死神だった。
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