「お前さあ、昨日、駅前のコンビニにいただろう。外から手を振ったのに、なんで無視したんだよ」
土曜の夜、宅飲みの約束時間より少し早く健太のアパートに着いた俺が冗談半分に言った。すると健太は、驚いた顔で俺を見て「そ、そうか。すまなかった」と言った。マジメに謝られたんじゃ、俺が怒っているみたいじゃないか。俺は「冗談だよ。気づかなかったんだろ」と言葉をつなげた。すると健太は、こんな話を始めた。
「最近、眠っているときに『これは夢だ』と自分で分かる夢を見るんだ。これ、明晰夢っていうらしい」
俺はうなずきながら次を促した。
「一カ月くらい前から夢の中に機械が出てくるようになった。それ、過去を進行させられる機械なんだ」
「なんだ、それ」と俺が聞いた。
「たとえば彼女と別れた後、時間がたってから、やっぱりやり直したいと思うときがあるよね。そんなとき、別れた時点から新たに過去を進行させられる機械なんだ」
俺が言葉を選びながら言う。
「それって、過去の途中から新たな時間が過ぎていくってことか? そんなことできる訳ないじゃないか」
「僕も初めはそう思った」健太が言葉を強めた。「だけど、本当に過去が進行して、やり直せたんだ。でもこれは明晰夢の中の話だけどね」
言われて納得した。しかし話にはまだ先があった。
「僕、過去進行機を使って、何度も過去のやり直しをしたんだ。十回以上はやった」
「でも夢の話だもんな」
「そうなんだけど……」健太は一度言葉を切ると、俺の目を見据えて言った。「昨日、天井裏に過去進行機が隠してあるのを見ちゃったんだ」
「えっ……」俺は二の句が継げなかった。健太が続ける。
「本物があるはずないと思って、動かしてみたら動いた。そして過去が進行した形跡があったんだ」
「形跡って……」
「僕がもう一人、現れたんだ」
俺は何がなんだか分からなくなっていた。健太は頭がおかしくなっているんだ。そう信じようとした。
健太の言葉は続く。
「自分の分身をドッペルゲンガーっていうんだってね」
「ちょっと待て、昨日俺がコンビニで見たのは、健太のドッペルゲンガーなのか?」
健太は返事をしない。でもしゃべり続ける。
「僕にもよく分からない。これは仮説だけど、僕は何度も過去を進行させた。これって何度も過去を変えたんだよね。なのに現在の僕は前と変わらない。ということは、進行させた過去の数だけ、別の現在が出来上がったんじゃないのかな。そう考えれば、僕のドッペルゲンガーが何人もいることの説明がつく」
「な、何人もいるのか?」
「うん」
健太がそう返事をしたとき、アパートの玄関扉が開いて誰かが入ってきた。見るとそれは、紛れもなく健太だった。それを見た俺の目の前の健太が、泣きそうな声で言った。
「この部屋の中だけでも、四人の僕がいるんだ」
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