「これ、記憶を消せる機械なんだぜ」
六時間目の授業が終わり、帰り支度をしていると、斉藤トオルが言った。携帯電話ほどの機械に、小さな画面がついている。大きめのボタンが三つ見えた。
「記憶が消せる? 何冗談言ってんだよ」僕が笑う。「高校二年にもなって、まだそんなオモチャで遊んでんのか?」
「そうじゃねえよ」トオルが反論する。「これはマジで本物なんだって。兄貴の会社の人が試したんだ」
「へ~」僕は取り合わない。すると、近くで話を聞いていたミチヒコが口を挟んできた。
「記憶が消せる? ってことは、思い出したくもない過去をなくせるってことか。いいねえ、俺に試させてくれよ。先週、彼女と別れたばっかなんだ。あんな思い出は、早く忘れちまいたいからな」
ミチヒコはトオルの手から記憶削除機を取ると「どうやって使うんだ?」と聞いた。
トオルが説明する。
「デリータ--この機械の名前さ--は、まずスイッチを入れて……」
一通り聞くと、ミチヒコが試す。機械が作動する音がしたかと思うと数秒でそれは終わった。ミチヒコを見てもなんの変化もない。僕が言う。
「ミチヒコ、どうなんだ? 先週、別れた彼女のこと、忘れられたか?」
「別れた彼女? なんのことだ?」
「だからさっき言ってたじゃないか。先週、彼女と別れたって」
「へ? 俺、そんなこと言ったっけ?」
初めはとぼけているのかと思った。僕たちをからかっているのかとも思った。しかしいくら聞いても、ミチヒコはとんちんかんな答えをするだけ。どうやらデリータは、本物らしい。
ミチヒコの様子を近くで見ていたサトルが、手を伸ばしてデリータを取り上げた。
「今度は俺に貸せよ。嫌な思い出なら、たんまりあるんだからな」
その言葉をきっかけに、クラス中のほとんどが、争うようにデリータを手に取ろうとしだした。
それから一カ月が過ぎた。デリータは大人気で、今やクラスの中で使っていない者はいないほどだった。みんな嫌な思い出を消し去り、毎日がなんとなく楽しかった。しかし異変は、確実に訪れていた。
ミチヒコが言う。
「俺さあ、最近、変な夢を見るんだよ。彼女と別れる夢なんだ」
僕が目を丸くする。そして聞いた。
「それって、おまえが以前、別れたっていう彼女か?」
しかしミチヒコには、そんな話は通じなかった。彼女とのことは、デリータで消したのだから。
僕たちの会話を聞いたトオルも近づいてきた。サトルも、そしてデリータを使ったクラスの連中みんなが近づいてくる。驚いたことに、全員の半分以上が、最近、奇妙な夢を見るというのだ。
「まさか、デリータの副作用じゃないよな」
誰かが言った。「まさか」と思ったが、誰もが心配になっていた。と、そのとき、いつもは物静かなマサトシが独り言のようにしゃべりだした。
「コンピュータのゴミ箱ってさあ」
「なんだよお、マサトシ。なんで今、コンピュータの話なんだ」
トオルが言うのをみんなが抑えた。みんななぜか、マサトシの言葉に引きつけられていた。マサトシが続ける。
「コンピュータを使ってて、いらなくなったものは、ゴミ箱へ入れるよね。で『ゴミ箱を空にする』と指示すれば、なくなっちゃう。でもね、本当はなくなるんじゃなくて、見えなくなってるだけなんだってこと、知ってた?」
「知らねえよお」トオルが言う。「それがどうしたんだ」
マサトシが続ける。
「これは仮説なんだけど、デリータが、もし記憶を消しているんじゃなくて、消したい記憶をどこかにまとめておいて見えなくしているだけだったとしたらどうなるんだろう。でもって、それが見えちゃったら?」
全員が黙った。「それって……」と言い出したヤツも口を閉じた。僕が言う。
「もしそれが本当なら、でもって何かの不都合から消した記憶が見えるようになったとしたら、嫌な記憶がかたまりになって思い出されるってことじゃないか。一つひとつでもたまらなく嫌な思い出なのに、全部が一気に押し寄せたら……」
「俺、気が狂うかも」サトルだ。
そのとき、ミチヒコが言った。
「まさか、そんなことって……」
同時にミチヒコの表情が険しくなる。苦痛に満ちた顔で大声を出し始めた。「や、やめてくれ。そいつは忘れたはずだ」
そこにいた全員の顔が引きつる。すると続いて、サトルが「まさか、そんなことって……」と言うと、苦痛に満ちた顔で走り出した。一人、また一人……。消したつもりの嫌な記憶が、一気にまとめて押し寄せてくる。それに何人が耐えられるだろう。僕はただ、いつ自分に「それ」がやってくるのかばかりを考えて、立ちつくしているだけだった。
※今回掲載の作品は『ffユニオン』掲載のものより長くなっています。上記を短くしたものが掲載されています。
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