念願の一人暮らしが実現して、ウキウキの慶子。引っ越しも終わり、ご近所へのあいさつ回りを始めた。
慶子の部屋は202号室。まずは、お隣の201号室のドアチャイムを鳴らすが、不在らしい。名前付きの紙を巻いたタオルをポストに入れた。次は203号室だ。チャイムを鳴らすとすぐに、四十代らしい主婦が現れた。タオルを渡してあいさつをすると、
「若いのに、ご丁寧に」と言った。そして「あの話、聞いてます?」と言った。慶子が首をひねると「あ、知らないのね。まあいいっかー。ところでこれ、いらない?」と、家庭菜園用の白いプランターを見せた。慶子がいらないと言うと、主婦は「そう。でも捨てられないしねえ」と言った。
次は204号室。チャイムを鳴らそうすると、突然その隣の205号室から年配の女性が出てきて言った。
「その部屋は誰もいないよ。開かずの間だからね」
「開かずの間?」
慶子がタオルを渡しながら聞く。老婆は「実はね」と解説を始めた。
204号室には、女性が一人で住んでいた。しかし事故で死んでしまい、以後、不思議な現象が起きるようになった。「だから近づかない方がいいわよ」と老婆は言った。続けて、自分の部屋の中を指差して「あれ、いらない?」と聞いた。見ると玄関に、古いちゃぶ台が立てかけてある。慶子がいらないというと、「そう。でも捨てられないしね」と言った。
その夜、慶子は、なかなか寝付けなかった。老婆から聞いた話が頭から離れない。早く寝ようと思っても、目が冴えるばかりだ。そうこうしているうちに、深夜の一時を過ぎてしまった。
とそのとき、奇妙な音がした。ズル、ズル、ズルと、何かを引きずるような音。別の部屋から聞こえてくる。
「まさか、開かずの間で……」
慶子の体から、血の気がさーっと引いた。とても寝ていられない。寒くてガタガタ震えだした。ベッドから出ると、エアコンを暖房にして入れる。部屋中の電気を全部つける。もちろんテレビも付けた。パソコンも。それでもあきたらず、電子レンジでミルクを温めようとしたとき、パンという音と共に部屋中が真っ暗になった。
「ええー。何よ。どうなったの?」
暗闇の中で、ぶるぶる震える慶子。しばらくして、電気の使い過ぎでブレーカーが飛んだと気づいた。でもブレーカーの位置が分からない。仕方がない、ドアを開けて廊下の明かりで探そう。外へ出る怖さはあったが、真っ暗な部屋の中にいるのも耐えられず、慶子は意を決してドアを開けた。
そのときだ。慶子は見てしまった。204号室のドアが開いているのを。怖くて怖くてしょうがない慶子だったが、何かに引き寄せられるように204号室をのぞいた。
中には、小ぶりのタンスや机、イスなどの家具類が雑然と置かれていた。その間に二人の女がいた。
「見たわねー」
昼間、タオルを渡した主婦と老婆がそこにいた。二人はそれぞれ手に、白いプランターとちゃぶ台をもっている。老婆がちゃぶ台を引きずると、ズル、ズルと音がした。
開かずの間は霊の出る部屋ではなく、主婦と老婆が勝手に物置代わりに使っていた部屋だったのだ。
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