「あら、ご無沙汰ですね。どこか遠くへ行ってらっしゃったんですか?」
アパートの踊り場で、向かいの部屋のおばあさんに言われた。一人暮らしの坂上雅俊は「ええ、まあ」と適当に返事をしたが、妙な気分だった。
「あのばあさん、ぼけてんのか? 一日だって部屋を空けちゃいないのに」
その日の夜、誰かが坂上の部屋のドアをノックした。
「どなたですか?」
ドアの向こうから「僕だよ。中学んときの同級生の吉岡」の声。
久しぶりの再会だった。吉岡と二人で、思い出話に花を咲かせた。
次の夜、また吉岡が来た。
「よお、どうしたんだ?」
坂上が言うと、吉岡は答えず、笑いながら部屋へ入ってきた。そして二人で、また盛り上がった。
そんなことが一週間ほど続いた。
次の朝、坂上が、テレビをつける。たまたまニュースが報じられていた。見るとはなしに見ると、そこに吉岡の写真が映し出されたのだ。テレビの中でアナウンサーが言う。
「繰り返します。昨夜、午後十一時ごろ、○○市○○町の山林で、会社員の吉岡勝哉さんが車の中で死んでいるのを、犬の散歩で通りがかった近所の青年が見つけ、一一〇番通報しました。遺体は死後一週間ほど過ぎていると見られ、死因は……」
「一週間前に死んでいた? てことは、あいつが俺んとこへ来だした日に、あいつは死んでたってことか? じゃあ、この一週間、ここへ来てた吉岡は誰なんだ……」
夜。今日もいつもと同じ時間に、吉岡がドアをノックした。
「俺。吉岡だよ。また来ちゃったよ」
坂上はビビりながら言った。
「今朝、ニュースで言ってたぞ。お前は死んだって」
坂上の言葉を聞いて、吉岡が黙った。ドアの向こうで何かを考えているようだった。そして言った。
「お前はもう、気づいていると思ってたけど、まだ知らなかったんだな」
「当たり前じゃないか。一週間も死体が発見されなかったんだぞ」
「いや、そういうことじゃないんだ。いいか坂上、よく聞くんだ。人間は死ぬと、一度、浮遊霊になる。霊体となってしばらくさまようんだ。そしてあの世へ旅立つ。さまよう時間は人それぞれで、一日の人もいれば一カ月の人もいるそうだよ」
「じゃあ、お前は、いつ成仏できるか分からないってことか?」
「ああ、まあそうだけど……。いや、俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ。どうして俺が、毎日お前のところへ来たかというとだな……」
吉岡が言葉を切った。坂上に考える時間を与えるかのようだ。それに合わせて坂上が考える。「すでに死んでいる吉岡が、どうして毎日、俺のところへ来たか……?」
突然、向かいの部屋のばあさんの言葉がよみがえった。「どこか遠くへ行ってらっしゃったんですか?」
てことは……。
「ようやく分かったようだね。気づかない人が結構多いとは聞いてたけど」ドアの向こうで吉岡が言う。
吉岡が訪ねてくるようになったころか、それともその前からか、坂上はすでに、吉岡と同じ世界のものになっていたのだった。
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