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ショートショット!
追い越し
井上 優

 後ろから車がついてきている。もうどれくらい一緒に走っているだろうか。夜中の二時。友達との麻雀の帰り道だ。

 チラチラと後ろを見る回数が増えていく。まばゆいハロゲンライトが、私のルームミラーを白くする。そればかりが気になっていた。

 国道1号線を走っていた私が左折したとき、後ろの車も左折した。さっきからずっとついてきている車が、私と同じ進路を取ったのだ。気にするなと言われても気になる。

 1号線を走っているとき、私はその車を追い越した。左車線を走っていたその車は、日本製の大型セダン。制限スピードより遅めで走っていた。私は「でかい車でトロトロ走りやがって」と悪態をつきながら追い越した。

 隣に並んだとき左の車を見た。窓には濃いめのスモークが張られているようで、運転者が男性だということぐらいしか分からなかった。ただ右手に指輪が光るのを見ることができた。金色の鈍い光。それは、かなり大きな指輪だった。

 国道1号線を左折してから数分後、突然、携帯電話が鳴った。

「だれだろう、今ごろ」独り言を言いながら、電話を取る。

「はい、もしもし」私はいつのように電話に出た。

「お前は、俺を追い越した」

 のどがつぶれたような低い声。気管を患っているのか、ヒューヒューという音が交じる。車の風切り音かもしれないが。

「お前は、俺を追い越した」

 同じことを二度言うと、電話が切れた。

 背筋がゾクゾクとした。私が追い越した車と言えば、今、後ろを走っているあの大型セダンだ。電話は後ろの車からかかったことになる。どうして私の番号が分かったのだ。

 さっきから感じていた気味の悪さが、恐怖に変わりはじめた。何かが起きようとしている。私のすぐ近くで、私の知らない何かが。

 アクセルを踏み込んだ。車が驚いたように息継ぎをした。キックダウンでギアが一つ下がり、加速の態勢に入った。

 周りは田園風景に変わっていた。このあたりは非常に見通しがきく。その安心感と、今感じはじめた恐怖感とで、私は右足にどんどん力をいれる。

 十数秒たってから、ルームミラーを見た。まだいる。私を逃すまいという姿勢が、その走りに表れていた。どうしたらいいのだ。逃げ切れるだろうか。そう思ったとき、少し先の信号が赤に変わった。私は迷った。止まるべきか、逃げるべきか。ここは見通しがきく。だから信号無視をしても危険ではないと思った。しかし私は止まった。

 キキッとタイヤが鳴る。停止線を少し超えて車が止まった。後ろを見ると、大型セダンがどんどん近づいてくる。「ぶつかるっ」私は大声を出した。ハンドルに顔を伏せ、恐怖心に耐えようとした。しかし車はぶつからなかった。背後から詰め寄る車は、更に加速して私の右側を追い越していった。

 しばらくして信号が青になったが、私は動けなかった。右足はブレーキを踏んだまま動こうとしない。

 運転席の窓をコツコツと誰かが叩いた。恐る恐る外を見る。見慣れた顔があった。午前二時まで一緒に麻雀をやっていた友人だ。窓を開けると友は言った。

「驚いただろう。まさか自分が追い越した車から電話がかかるとは思わなかっただろう」

 友人は意地悪そうに笑う。数秒後、すべてを理解した。友人は、麻雀が終わっての帰り道、私の後ろを走っていたのだ。私がさっきの大型セダンを追い越したことも知っているのだ。その上で、イタズラしたというわけだ。

 一気に力が抜けた。なーんだ、そうだったのか。気が楽になった。友人にはお灸をすえたが、その場で笑い合った。

 そうと分かれば安心して帰れる。私と友人は、それぞれの車に乗った。

 前を見ると信号が赤だ。しばらく待つ。すぐに青になった。右足をアクセルに乗せようとしたそのとき、前方対向車線に大きな国産車が止まっているのに気づいた。その車は、信号が青になっても動こうとはしない。私がブレーキを緩め、少しだけ進むと、対向車も同じだけ進む。じっとにらまれている――。そんな感覚に襲われた。その車は、さっき私を追い越していったあのセダンだった。私は恐怖のあまり、そこから動き出すことができなかった。

copyright : Yuu Inoue(Masaru Inagaki) ffユニオン34号(1996.7月号)掲載

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