直美が免許をとって半年。就職祝いに両親が買ってくれた中古のハッチバック車に、初めのような感動を感じられなくなってきた。「もっとかっこいい車がほしいな」そんな思いが募るばかりの直美は、ある計画を思いついた。
*
「もしもし、母さん? ねえ、父さんいる?」
夜の十一時を少し回ったころ、直美から電話がかかる。受話器を取った母親は機嫌が悪い。
「直美ちゃん、今何時だと思ってるの。就職したっていっても、あなたは未成年なんだし……」
「ごめん、母さん。お説教はあとで。ねえ、父さんと代わって」
娘は、ひたすら明るい。母の淑子は受話器を耳から離す。亭主に「直美から」と一言。
「なんだ直美、遅いじゃないか。母さんが心配してたんだぞ」父親の洋三だ。
「ごめん、父さん。それでね、迎えに来てほしいの。十一時二十八分の最終に乗るから、十二時ぐらいに着くわ。ねえ、お願い。駅まで迎えに来て」
「しょうがないなー。だが父さんの車は車検に出してあるから、お前の車で行くぞ」
「うん、いいわよ。キーは母さんが持ってる」
「よし。じゃあ気をつけてな」
「うん、分かった」
受話器を置くと、洋三は妻に事の次第を話し、財布と車のキーを持って車庫へ向かった。
十二時。改札口から、深夜とは思えない数の人が吐き出される。中に直美もいる。
「助かったわ、父さん」助手席でシートベルトを締めながら直美が言う。「母さん怒ってた?」
「まあな」
父と娘の会話が続く。
しばらくすると、直美が無口になった。父の洋三は、疲れているのだろうと思った。しかし直美は疲れてはいなかった。
「と、父さん」声を絞り出すように言う直美。
「どうした?」
「う、後ろの席に誰かいる……」
「えっ?」洋三がルームミラーをのぞき込む。誰もいない。「気のせいじゃないのか?」
「ううん、確かに女の人がいた。こんな車、もうイヤ! 買い替えたいよう」
直美は両手で顔をおおい、子供がイヤイヤをするように首を左右に振っている。
「大丈夫だよ。車のライトか何かが反射したんだ。気にすることは……」
娘を気づかう父だったが、言葉は最後まで続かなかった。目はルームミラーにクギ付けだ。静かに言った。
「どうやら、気のせいじゃなさそうだな」ルームミラーの中には、小さな老婆が映っている。続けた。「心配することはない。後ろにいるのは、きっと亡くなったおばあちゃんだ。この車に乗ってお前を守っているんだ。だから間違っても車を買い換えようなんて考えちゃいかんぞ」
家に着くと、直美は逃げるように車から出て、自分の部屋へ向かう。洋三は、直美が見えなくなると車の後部へ進み、ガラス張りのハッチを開けて言った。
「もういいぞ。狭くて大変だったな。それにしてもハッチバック車でよかった。そうでなかったら走っている最中に後ろの座席へなんか来られないからな」
中から妻の淑子が無言で出てくる。年輩者が着るような地味な和服を着ていた。手を貸しながら、洋三は続けた。
「直美にも困ったもんだ。車を買い替えたいばっかりに幽霊騒動をでっちあげるなんて。たまたまお前が直美の電話を聞いて計画が分かったから、反対にこっちが幽霊ごっこで脅かしてやったがな」
妻は、まだ黙っている。
「どうした? こんな所に入っていたから、車に酔ったか?」
「あなた」妻がささやくように言う。「私、あなたと打ち合せたとおりに後部座席へ行こうと思ったけど、出られなかったの」
「な、なんだって!」
洋三の表情が、みるみる凍りついていく。
数日後、中古のハッチバック車は、カーディーラーに引き渡され、代わりに黒いクーペがやってきた。もちろん新車だ。
納車の日、一人で運転する直美は、ルームミラーに向かって、そっと言った。
「ありがとう、おばあちゃん」
ミラーの中では、着物姿の小さな老婆が、やさしくほほ笑んでいた。
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