それは、土曜の午後だった。久しぶりの散髪を終えて帰宅した岩田洋介は、郵便受けに封筒を見つけた。ステンレスのふたをあけ、中から取り出す。表を見ると「岩田理恵様」と娘の名前が、活字で書いてあった。
「ワープロか」独り言を口にしながら、封筒を裏返す。送り主の名はなかった。住所も書かれていない。ふと、不安になった。
「誰だろう」また独り言だ。もちろん岩田は、娘の交友関係をすべて知っているわけではない。中学生の娘は、親への秘密が少なくない。岩田の娘・理恵も例外ではなかった。
何も書かれていない裏面を見たとき、岩田は、封がされていないことに気づいた。送り主が忘れたのだろう。岩田の好奇心が、ムラムラとわきあがった。多少の罪悪感を持ちながら、中の手紙を引き出す。四つに折られた便せんを広げる。瞬間、息を飲んだ。一枚目の初めに、大きなワープロ文字で「殺してやる」と書かれていたからだ。
岩田は、一気に読んだ。それは娘への脅迫状だった。そこには「夜道は気をつけろ」とか「通学路は分かってんだからな」などという文章がある。そして最後に「いつかお前を殺す」と書かれていた。
いったいどうしたというのだ。まだ中学生の理恵に脅迫状がくるなんて。それも「殺す」などという過激なものが……。理恵は、何かの事件に巻き込まれたのだろうか。岩田は混乱する頭で一生懸命考えた。そして、もう一度全文を読んだ。ところどころに、子どもっぽい表現がある。もしかしたら、理恵と同じ中学生の仕業かもしれない。同じ男の子を好きになった女の子とか、理恵に振られた男が、嫌がらせをしているのかも……。
「こりゃー、ほっとけんな」岩田はまた独り言を口にしながら、手紙を郵便受けに戻した。
翌日は日曜日。理恵はお昼少し前に出かけた。岩田も出かける。尾行するのだ。あんな手紙を見てしまったのだから、ほうっておくことはできない。
理恵は、駅で女友達と待ち合わせ、街に繰り出した。ティーンズ向けのブティックをのぞいたり、アイスクリームを買って食べたりと、たいしたことはしていない。理恵もあの手紙は読んでいるはずだが、その割には明るく、楽しそうだった。誰かのいたずらだと思っているのかもしれない。しかしまだ真相は分かっていない。岩田は、ひたすら尾行を続けた。
夕方。理恵は友人と分かれた。一人っきりで家へ向かう道を歩く。ちょうど通学路と同じだ。岩田の緊張が高まる。辺りはだんだん暗くなっていく。
理恵が立ち止まった。岩田の胃がキリリと痛む。
「父さん、そこにいるんでしょ」
岩田は驚く。あんなに慎重に尾行したつもりなのに、見破られていたか。物陰から姿を現す。
「やっぱりそうだったのね。父さんって、最低!」
尾行したことを責められていると思った。しかしこれは娘を心配する親心からの行動だ。
「父さんがあんなことをする人だったなんて……。ずっと怪しいと思ってたけど……」
なんだか話が変だ。岩田が「なんのことだ?」と問う。
「しらばっくれないでよ。いつも私あての手紙を勝手に読んでいたでしょ。封を開けたことが分からないようにしてあったけど、これではっきりしたわ。もう、父さんって最低!」
「これではっきりしたって、どういうことだ?」
「だってあの脅迫状は、私が書いたのよ。もし父さんが盗み読みをしているなら、脅迫状のことで何かの行動をするって思ったの。やっぱりね」
「いや、それはだな。父さんはお前のことが心配だから……」
「言い訳はいいわ。もう父さんとなんか、口きかないから」
あたふたする岩田。それでも内心ほっとしていた。脅迫状は狂言だったのだから。
一人でどんどん歩いていく理恵。その後を追いながら、岩田が大声を出す。盗み読みのことが分かってしまったのだから、聞きたいことが山ほどある。
「おーい、理恵。吉岡満夫君とはどうなってるんだ。それから、ずっと前に手紙をくれた飯田義一君はどうなんだ。文面からだと、まじめそうでいい子じゃないか。それから……」
娘のことが、とにかく気になる父であった。
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