いつものように上司から小言を言われた男は、いつものように小さく縮こまっていた。自分に力がないことは重々承知している。上司が怒るのも無理もない。「そんなことでちゃんと仕事ができるのか」と言われれば返す言葉もない。
男が黙ってうなだれているのを見て、上司が言った。
「最後の手段だ。これ貸してやるから、ちゃんと仕事をしてこい」
男が受け取ったのはカメラだった。「ああこれが噂のカメラか。俺みたいな劣等生用ってわけだな」と男はつぶやいた。
カフェでアルバイトをするサユリは落ち込んでいた。最近、お店のみんなが冷たい。以前はやさしかった店長でさえ、返事もしてくれない。もう辞めちゃった方がいいのかなと思いだしている。そんな毎日なので、ぼんやりすることが多かった。今日もまた店の窓から、外の通りを眺めていた。
「あの人、また写真を撮ってる」
サユリが独り言を口にした。いつからかは覚えていないが、店の外で写真を撮り続けている男がいることに気づいていた。歩道にある街路樹にもたれて、シャッターを切り続けている。男に気づいたころは、街の風景を撮影するカメラマンかと思ったが、よく見ると手にしているのは小さなデジカメ。なんだか気味が悪かった。「まさか盗撮では?」と思ったが、普通に歩道の人並みを写しており、そんな様子は見せない。
ある日のこと、カメラの男が動いた。写真を撮ったであろう女性に近づいていったのだ。男は女性にカメラの背面を見せている。女性は驚いた顔をしたが、その後すぐに悲しげな顔になり、そして、すうっと消えてしまった。立ち去ったのではない。煙のように消えたのだ。
「えっ!?」
サユリの口から声が漏れた。同時に男がこちらに顔を向けた。目が合った。まずいと思ったが、もう遅かった。男は体の向きを変え、こちらへ向かって歩きだした。
店頭についた男は、音もなく店内に入り、入り口に一番近いテーブルの椅子に座った。
サユリは焦った。見ていたことを非難されるのではないかと怖くなった。でも入店したのだから、その人はお客だ。注文を取らなければならない。男のテーブルに水の入ったコップを置き、話し掛けようとした。
先に話し始めたのは男だった。
「君、もしかして……」
言いながら立ち上がり、サユリにカメラを向けてシャッターを切った。そしてカメラの背面にある液晶画面を静かにサユリに見せた。そこにはサユリの姿はなく、店内が写っているだけだった。男が言う。
「君も、そうなんですね。じゃあ、あちらへ行きましょう」
カフェの店長は、入り口に一番近いテーブルを凝視していた。おかしい。さっきまで何も置かれていなかったのに、突然、水の入ったコップが現れた。テーブルの付近には誰もいない……。
自分の死を認識していない魂を死後の世界へ導くのが死神の仕事だった。そして死神もさまよう魂も、生きている人には見えないのだった。
読みもののページ
ショートストーリーを中心に、しょーもないコラム、Mac系コンピューター関連の思いつきつぶやきなど、さまざまな「読み物」を掲載しています。
20世紀に書いたものもあり、かなり古い内容も含まれますが、以前のまま掲載しています。
Copyright Masaru Inagaki All Rights Reserved. (Since 1998)