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ショートショット!
母さんに気をつけろ
井上 由

 社会人になったばかりの兄が、自宅の階段から落ちて右足の骨を折った。すぐに入院。大事には至らなかったが、妹の私と両親は、とても驚いた。

 足の手術も成功し、ギプス姿となった兄を学校帰りに見舞った。口数の少ない人なので、私が行っても多くは語らない。それでも少しは世間話をしたのだが、話が途切れたとき、兄がぽつりと言った。

「母さんに気をつけろよ」

「えっ?」

 私は聞き返した。「何の話なの」と聞くと「しっかり見ていれば分かる」とだけ言い、厳しい目をして天井を見つめるばかりだった。

 兄からあんなことを言われると、変に気を遣ってしまう。今まで母を「しっかり見る」ことなどなかった。母の何を見て、何に気をつければいいのか、皆目見当がつかない。しかし翌日の夜、私は母の不審な行動を目にしてしまったのである。

 二階の自室から一階の台所へジュースを飲みに向かったとき、母が食卓テーブルの上で何かの書類を広げているのを見た。私の存在に気づくと、急にそれを隠すようにまとめ、大きな茶封筒に入れてしまった。

「何、それ」と私が聞くと、

「保険の内容を確認してたの。お兄ちゃんの治療費のこともあるから」

と答えたのだが、私はその答えに不信感を持った。治療費の請求について調べているなら、私に隠す必要はないはずだ。それに兄は生命保険に入っていても、ケガの治療費が出る障害保険には入っていないはず。ということは、生命保険の契約内容を見ていたのだろうか。

 その不信感と、兄が言った「母さんに気をつけろ」の言葉が重なった。まさか母が兄を……。そんなことは考えられない。でも……。兄の言葉が強く私の胸を突いた。

 一カ月ほどして兄が退院。この日は、父が有休を取って病院へ行くことになっていた。私は夏休みに入っていたので家でお留守番。母も父と一緒に病院へ行くと思っていたのだが、行ったのは父だけだという。母は「お兄ちゃんはもう、松葉杖で歩けるから大丈夫よ」と言った。

 母は、なんだか慌てているようだった。どこかへ出かけるのだろうか。兄の退院の日だというのに。

 そんなことを考えていると、母が私に言った。

「ちょっと出かけてくるから。すぐに戻るって、お父さんたちに言っておいてね」

「え、ええ……」

 私が煮え切らない返事をする間に母はさっさと靴を履き、玄関ドアを開けた。そのときちょうど、父と兄が帰ってきた。

 家に入るなり兄は、母を呼び止めた。母が手に持っていた大きな茶封筒を取ると、松葉杖を両脇に挟んだままで中身を取り出して見た。そして私に向かって言った。

「だから母さんをしっかり見ていろと言っただろう」

 言いながら私に封筒の中身を差し出す。そこには銀行からの残高不足の通知と、クレジットカード会社からのたくさんの請求書があった。

「買いすぎだよ、母さん」と兄が言った。

copyright : Yuu Inoue(Masaru Inagaki) ffユニオン137号(2013. 9月号)掲載

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