妻が死んだ。
仕事の忙しさにかまけて家を顧みなかった私には、妻がいなくなったとはどういうことなのかが、頭の中でうまく整理できない。週に二度のゴミ出しを私がするのだろうなという、些末な行動しか考えられない自分が情けなかった。
実感が持てたのは、四十九日を過ぎたころだった。
それまでほとんど口をきいたことのなかった高校生の娘と、珍しく会話した。
「今日は日曜だけど、ゴルフに行かないの?」
娘が抑揚のない声で言う。私は気を遣いながら答える。
「ああ、母さんが亡くなってから、お誘いが減ってな」
「平日の夜も早く帰ってくるのね」
「仕事内容が変わったからな」
たわいもない会話だが、娘の目はあらぬ方向を見ていた。何かを言いたげな、冷たい目だった。
「母さんがいなくなったわけだし、これからは父さんがなるべく……」
私が言いかけたとき、娘が声を荒げた。
「母さんが生きていたころは、仕事とか付き合いとかで、夜も休日も家にいたことなんかないじゃない。母さんが死んだからって、急に変わるのは変。そんなのあんまりだわ」
娘は涙をにじませていた。
そうか、家族はそんな思いでいたのか。私は今さらながら、家庭を顧みなかったことを後悔した。すべてを妻に任せ、自分は仕事をしていればいいと思っていた。休日のゴルフや釣りだって、特に行きたかったわけじゃない。でも付き合いをしていかなければ、仕事がうまく回らない。そんな思いで過ごしていたが、家族には大きな負担を掛けていたようだ。
「すまなかった。父さんはただ、ちゃんと仕事をしないと、生活ができないと思って」
「もういいわ。もう母さんはいないんだから。もういいわよ!」
乱暴にドアを閉めていく娘の背中が、私を非難していた。私は改めてこれまでの自分の行動を悔いていた。
いつの間にか辺りは暗くなっていた。室内の電灯をつけようと立ち上がったとき、耳元で声が聞こえた。
「私、ちっとも恨んでないから」
妻の声だった。
「お前……。すまない……」
私の言葉が終わらないうちに、声だけの妻が言う。
「あなたは家族のために忙しく働いてくれたわ。だから私、ちっとも恨んでなんかいないの。ただ寂しかっただけ」
「すまない……」涙があふれてきた。
「でも今は、なんだか気分がいいの。だってあなたは一人になったのだから、これからは私が感じたような寂しさを体験してくれる。あなたは私と同じになるの。死んでからやっと、あなたと一体感を持てるようになって、なんだかとてもうれしい……」
妻の言葉は、低く重い響きで、私の耳にじわじわと入り込んできた。私は改めて妻の絶望感を知って、愕然となった。
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