「実は私ね、一回、殺されているのよ」マリエが言った。
「何よ、それ」バイト仲間のユカが、大きな口を開けて笑う。
ファースト・フード・ショップの休憩室で、白くて冷たいどろどろとした飲みものを手にしながらの雑談だ。隣で店長の鈴木も笑いながら聞いている。
「あ、笑ったわね。じゃあいいわ、教えてあげる。ユカや店長は信じないかもしれないけどね」
マリエは、バイト仲間のショージと付き合っていたが、ある日、別れ話を持ちかけられた。ショージに新しい彼女ができたからだ。
「だから私、ショージと会うとき『時間戻りの薬』を持っていったの。あ、その薬、兄の友達から聞いて、奇妙堂って店で買ったの」
時間戻りの薬は顆粒で、振り掛けたものだけが、その量に応じた過去に行くことができる。効き目が消えると振り掛けた時間へ戻る。
もし別れ話を切り出されたら、薬を使って過去へ戻り、呼び出しに応じずにショージと会わないでおこうと思ったのだ。
呼び出されたのは、お城のある大きな公園。平日の夕方ということもあり、ほかには誰もいなかった。
ショージが別れ話を始めたとき、マリエは興奮して「嫌!」を連発した。大声を出すマリエを見て、カッとなったショージが彼女を突き飛ばす。転んだマリエは、運悪く石垣の角で頭を強く打ってしまった。
「血が、すごくたくさん出たの。もうダメだと思ったわ」
意識が薄れる中でマリエは、手にした時間戻りの薬を自分に掛けた。近寄ってきたショージにも掛かった。
振り掛けた量が少なかったためか、戻ったのは五分ほど前の過去。ショージが話を始めたあたりだった。このあと何が起こるか、マリエにもショージにも分かっていた。
「だから私、走って逃げてきたの。殺されるくらいなら、彼と別れた方がマシと思ったのよ。当然でしょ、ね」
「なるほどね」ユカが半信半疑ながら言う。「そういえば最近、ショージ君を見ないわね。マリエと別れたからバイトを辞めたのかしら」
「そんな話はないよ」店長の鈴木だ。
店長によれば、ずっと無断欠勤が続いているという。マリエは「へえ、そうなの」と軽く受け流し、溶けだした白いどろどろをストローで吸った。
マリエには、ショージのいる「場所」が分かっていた。
時間戻りの薬を振り掛けて、五分ほど過去に戻った瞬間、マリエはショージだけに、もう一度、薬を振り掛けたのだ。瞬間、ショージは消えてさらに過去へと行ってしまった。マリエはそのまま帰り、殺された時間には家にいたが、ショージは薬の量に応じた時間が過ぎて、ようやく元に戻る。しかし戻った先は、二回目の薬を掛けられたとき。つまりマリエとショージが一緒に戻った一つめの過去だ。
薬の戻り先は「振り掛けた時間」だが、一度戻ってしまえばそれで終わり。結局ショージは、マリエたちの時間より五分前の世界で、ずっと暮らすことになったのだった。これでマリエの気持ちがすっきりした。
「私を振るなんて、許せない」
言葉にならない独り言を思い浮かべ、一人ほくそ笑むマリエだった。
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