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ショートショット!
無駄のない本
井上 優

 島田シュウジは、目覚めたとき、なんとなく違和感を覚えた。何かが変だ。それが何なのか全く分からないまま体を起こした。

 居間のソファで眠ったらしい。目の前の机には、読みかけの推理小説があった。恋人のハルナに勧められて読みだした本だ。

 シュウジは本を読むとすぐに眠くなり、やがて眠ってしまう。だから次に読むとき、少し読み直さなくてはならない。その時間が無駄だと思った。同じ文章をもう一度読むために、新たな時間を使うなんてもったいないのだ。

 ある日、ハルナが一冊の推理小説を持ってきた。彼女は「この本なら、あなたは不満を持たないと思うの」と言った。その本が目の前にある。

 本を借りてから、もう一年もたってしまった。なかなか読みだせずにいたが、今日、意を決して読みだした。でも、やっぱり眠ってしまったようだ。

 「やれやれ」とつぶやきながら立ち上がる。ソファが揺れたためか、新聞が床に落ちた。欄外に印刷された日付を見るともなしに見ながら拾い上げたとき、おやっと思った。

「二月十九日……。今日は二月二十日のはずだ。昨日の新聞かな?」
 大したことでもないのだが、妙に気になった。ほんの少し、心臓の動きが速くなった。一日古い新聞があるだけだと、自分に言い聞かせる。

 壁の時計が鳴りだした。四時を示した針の背後から、オルゴールの音色が響く。見ると、付けられた日付が「二十日」になっている。
「やっぱりそうだ。こいつは昨日の新聞だ」言いながら手元の新聞に目を戻そうとしたとき、向かいのソファに新聞がもう一組あるのに気づいた。欄外に、二月二十日の日付がある。

「やっぱりね……」苦笑いしながら、ソファに座り込む。

 ふーっと、ため息をついたシュウジの頭に、奇妙な違和感が残っていた。すぐさま立ち上がり、もう一度、向かいのソファにある新聞を見る。

 わが目を疑った。新聞の日付は、確かに二月二十日ではあるが、一年前のものだったのだ。

        *

 ちょうどそのころ、ハルナは行きつけの店《奇妙堂》の店主と話をしていた。《奇妙堂》は「未来カメラ」など不思議な品物を売る店だった。

「ところで例の本の効果はどうですか? そろそろ一年になりますが」

 店主の問いかけにハルナが答える。

「あの本は、シュウジ君にあげたんです。彼、本を読むとすぐに眠っちゃって、それを読み直す時間がもったいないって言ってましたから」

「それはいい。あの本なら、読んでいる途中で眠っても、眠る前の時間に戻ることができますからね。あれは逸品ですよ。ただ……」
「え? 何か問題でも?」ハルナが心配そうに聞く。店主が答える。
「いえね、何せ古い本ですから、戻る時間が正確でないこともあるとかで」

「あらまあ。でも時間が戻るんだからいいですよね。時間を無駄にするより、よほどいいわ」

 笑いながらハルナが言う。店主も合わせて笑う。

 二人とも、シュウジの状況を知らない。本を読んで眠るたびに、本を受け取った日に戻るという無限ループから、抜け出せなくなったことを。

copyright : Yuu Inoue(Masaru Inagaki) ffユニオン92号(2006.3月号)掲載

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