沢田弘治が表情を曇らせたのは、会話に飽きたからではなかった。社員食堂での昼食後のひととき、一瞬、不快感が彼を襲ったため、素直なリアクションをしたまでだ。もちろん、目の前にいる二人が気にいらない訳ではない。会社に同期で入り、何かと気の合った仲間なのだから。
吉川道彦は、沢田の表情を見逃さなかった。
「なんだよ、変な顔をして」
言いながら今度は吉川の表情が変わった。それを見て山下茂樹が言う。
「今度は吉川かよ」
そして山下の表情も変わった。
「誰だよ、いったい!」沢田が少し大きい声を出す。
「誰って…。そんなの、俺以外のヤツに決まってんだろ」吉川だ。
「沢田、お前、俺たちを疑っているのか? いいかげんにしてもらいたいもんだ」山下が沢田をにらむ。
言われた沢田は黙っていない。
「いいか、俺はな、お前たち二人を、本当の親友だと思ってきた。これまで、それなりの対応をしてきたつもりだ。なのになんだ、この仕打ちは。あんまりじゃないか」
山下が言葉を返す。
「おいおい、なんだよ。急に親友だとか言われても困るぜ。確かに俺たちは、結構うまくやってきた。だからといって、一生いい付き合いが続くとは限らないぜ。特に、今回のようなことがあるとな」
吉川が自分の前にいる二人をかわるがわる見る。ちょっと心配そうだ。
「そんなに怒ることはないだろう。冷静に考えれば大したことじゃないし」
聞いて、沢田が目をむく。
「そうやって、もみ消そうとすると、さらに問題が大きくなるんだ。初めにちゃんと言えばいいんだ」
すると山下が沢田を小ばかにしたような目で言った。
「そんなこと言って、本当はお前じゃないのか。一番初めに変な顔をしたのはお前だったしな」
「なんだと!」沢田の表情が変わり、突然立ち上がる。
そのとき、かすかな音がした。空気が漏れるような、ごく小さな音。立ち上がった沢田の動きが止まる。
「またか!」山下が言う。沢田を見ると、なんだかバツの悪そうな顔をしている。
山下が勝ち誇ったように椅子に背を預けると、今度は妙な音が聞こえた。壊れたラッパのような情けない音だ。
「あっ!」山下が言った。急に表情が情けなくなる。
三人は、互いを見合った。数十秒の時間が流れる。静寂を破ったのは山下だった。
「まあ、誰にでも間違いはあるものだ。今日のところは、お互いに許すということでどうだ」
沢田がそっぽを向きながら、うなずいた。吉川は右手で頭をかきながら、うなずいた。
そして静かな午後が戻ってきた。
三人の表情がおだやかになったころ、あたりの空気も清らかになっていた。
しかし一人だけ、納得のいかない人物がいた。沢田たち三人がいたテーブルの隣で食事をとっていた新美義和だ。新美は、三人が立ち上がり食器を片づけに向かうと、独り言を口にした。
「こっちはいい迷惑だぜ。三人分のガスを吸わされてよお」
お陰で食欲がなくなってしまった新美だった。
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