「そこをどくんだ。お前がじゃまなのが分・か・ら・な・い・か!」
男が言った。頭に白いモノが交じっている。表情は穏やかだが、言葉を一つずつ区切った言い方に苛立ちが感じられる。
「なんでだよお。そんなのこっちの勝手じゃんか。ここには僕の方が先にいたんだからな」
座っていた若い男が立ち上がり、言い返した。年齢は、ごま塩頭の男の半分にも満たない。もしかしたら三分の一程度かもしれない。
互いに一歩も譲らない様子で、にらみ合いが続く。もはや言葉はない。ただ、双方の片足が相手に向かって微妙に動いている。まさに水面下の戦いと言っていいだろう。
この冷戦を知ってた知らずか、一人の老婆が近づいてきた。顔の皺からは七十歳を超えているようにも見えるが、背筋はピンと伸び、よぼよぼとした雰囲気はまるでない。落ち込んだ眼孔の奥で、小さな目が鋭く光っている。
「ちょいとあんたたち、そこをどいておくれでないかい」
老婆は、それがさも当たり前のように、二人の男の間に割って入ってきた。
「ちょっと待った!」若い男だ。「一体なんなんだよ。さっきから言ってるだろ。僕はずっとここにいたんだ。それを『どけ』とは、酷すぎるんじゃないか?」
聞きながら老婆がフフフと笑う。
「お前はまだ若い。若いもんがそんなことでどうする。ここはほれ、老体に場を譲るべきだと思わんか?」
「年齢なんか関係ないじゃないか」ごま塩男だ。「要は、誰がこの場に最もふさわしいか、なんだ。それは俺に決まってるだろうが!」
「ほほー。お前がふさわしい人物だというのか」老婆は相変わらず不敵な笑いを浮かべる。「どこにそんな証拠があるというんだい」
老婆の言葉は、ごま塩男を硬直させた。大声で反論するかと思われたが、年長者に対する畏れのためか、彼はそのまま口をつぐんでしまった。
もはや誰も何も言わない。しかし「水面下の戦い」は激しく繰り広げられている。
若い男が右足を動かした。二十センチほど前に出す。足が「それ」に触れた。動きを悟ったごま塩男が、キッと相手をにらみつけ、自分の左足を前に出す。自分も「それ」に触れようという魂胆だ。すると若い男は負けじと、さらに右足を前に出す。ごま塩男が応戦し、今度は出っ張った腹を相手にぶつけだした。
若い男の顔色が変わった。口には出さないが「何もそこまですることはないだろう」という表情でごま塩男をにらむ。それでも出っ張った腹は前に進んでくるため、若い男は我慢できずに、さらに足を前に進める。すると足下の「それ」も一緒に動き、ますます相手の男との間が狭まった。息がかかるほどの距離にまでなっていた。
そんな男たちの熱き戦いを見ながら、老婆は「よっこらしょ」とその場に座り込んだ。両膝をつくと、自分の左右にいる男どもの脚を、右手で払いだした。
「痛! 何をするんだ」
「なんで脚を叩くんだよお」
突然のことで、二人は驚いて一歩引いた。老婆は二人を見上げ、さきほど以上の不敵な笑いを浮かべた。そしてそのまま床に正座すると、それまで三人の間にあった「それ」を膝に乗せた。
「あ!」
「ばあちゃん、ずるいぞ!」
二人が大声を出す。それまで二人が脚で触ろうとしていた「それ」が、突然、老婆によって撤去されたのだ。
老婆はいとおしげに膝の上の「それ」をなでる。そして、さも勝ち誇ったかのように、男たちに向かって言った。
「ほれごらん。これが証拠じゃよ。ワシが抱いてやれば、こんなにおとなしくしとるじゃろ」
膝の上で、三毛猫がゴロゴロとのどを鳴らす。
こんな寒い日は、エアコンやファンヒーターよりも、やっぱり猫がいい。足の間に挟んだり、膝に入れたりするだけで、本当に気持ちのいい温もりを感じられるのだから。
究極の暖房具を確保した老婆は、近くにあったソファにもたれて、うたた寝を始めた。ごま塩男は「ばあさんには、かなわんな」と言いながら、息子と一緒に向かいのソファに座り、ファンヒーターのスイッチを入れた。
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