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ショートショット!
あなたの知らない私
井上 優

 晴美は気になっていた。半年前から付き合いだした洋二は、ときどき遠い目をする。悲しい過去を引きずっているのだろうか。それとも、悩みがあるのだろうか。大好きな洋二のことだから、なんでも知りたい。

 何日も悩んだ末、洋二を自宅へ招待することにした。一人暮らしのワンルームマンションだが、晴美の手料理をご馳走すれば、洋二の気分も軽くなり、何かを話してくれるかもしれない。そう思ったからだ。

 晴美の招待を洋二は快く受けた。晴美はうれしかった。洋二もうれしそうだった。そのときすでに晴美の頭の中には、料理のレシピが整列していた。

 その日、洋二は約束の時間通りにやってきた。いつものことだが、洋二は時間に正確だ。まるで列車のように、時間通りに現れる。

 晴美に促されて、洋二はテーブルについた。フローリングの部屋だが、毛先の長いカーペットが敷かれており、その上に座り込む格好になった。洋二が座るとすぐに、晴美が手料理を運びだす。次から次へと運ばれる料理に、洋二は目を見張った。

「晴美ちゃん、すごいね。全部自分で作ったのかい?」

 晴美がテーブルにつくと、洋二が聞いた。

「うん。私、料理が大好きなの」

 洋二が料理に手を付ける。

「うまい! うまいよ晴美ちゃん。材料や調味料のバランスが抜群だよ。すごいな。晴美ちゃんの特技が料理だったとは知らなかったな」

「特技ってほどじゃないけど。じゃあ、洋二さんの特技は?」

 いつになく明るい洋二を見てうれしくなった晴美が話を振る。

「特技――か。僕の特技と言えば、暗算が速いくらいかな」

「暗算って、頭の中で計算するあれ?」

「そうさ。こんなのが速くたってしょうがないけどね」

 洋二が少し暗くなる。せっかく明るくなったのに、これではいけないと、晴美が言う。

「そんなことないわよ。じゃあ、ちょっとやってみましょうよ。ね、私が問題を出すから答えてね。いい?」

「ああ、いいよ」

「いくわよ。三たす百五十六たす二万五千三百二十一かける、かっこ五百万とび一たす三十二割る六千二百十……では」

「一億六千五百四十八万九千百五十二・三二六五四四一」

 即座に答えられて、晴美は驚いた。単なる足し算だけではなく、一つの式にカッコがついた割算やかけ算まで入っているのに……。しかしいい加減に答えているのかもしれない。

「それって、当たりなの?」

 反対に晴美が聞く。すると洋二が言った。

「いいはずだよ。なんなら電卓で計算してみる?」

 言われて、晴美が電卓をもち出す。洋二はもう一度「問題」を言った。晴美は「問題」を紙に書き、カッコでくくられた部分を先に計算するなどした。もちろん電卓で。

「大当たり。すごいわ洋二さん」

「いやー、それほどでも」

 晴美は感心していた。計算が合っていることもすごいが、問題まで覚えていたことに興味を持った。暗算が特技と言うだけのことはある。

 晴美が感心していると、洋二がトイレに立った。

 トイレは洗面所と一体になっていた。洋二は便器の前には立たずに、入口の左側にある洗面台の鏡に向かった。そして鏡の横にコンセントを見つけると、軽くほほえんだ。

「久しぶりに四則演算の回路を使ったんで、電力不足になっちゃったよ」

 独り言を言いながら、洋二は後頭部の髪の毛の中から細いコードを引き出し、コンセントに差し込んだ。瞬間、軽く頭が揺れた。瞳孔が三度激しく開閉し、それは終わった。

 コンセントを抜き、頭の中へ戻そうとしたとき、左側に気配を感じた。晴美だった。「見られた」と思った。自分がサイボーグだということだけは、晴美に知られたくなかった。だから大好きな晴美と一緒にいても、ときどき遠い目をしていた洋二だったのだ……。

 しかし晴美は、驚きはしなかった。洋二の頭から伸びているコードを見て、ほほえみながら言った。

「なーんだ、洋二さんって私と同じだったんだね」

 言いながら晴美は、脇の下から料理のレシピをプリントアウトして見せた。

copyright : Yuu Inoue(Masaru Inagaki) ffユニオン26号(1995.3月号)掲載

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