Reading Page

 
コラム
飼い犬に手を噛まれた
稲垣 優

 「飼い犬に手を噛まれる」とは、完全に身方だと思っていた相手に裏切られることだ。でも本当の飼い犬は、飼い主の手を噛むこともある。

 2000年12月に、うちへ犬がやってきた。生後1カ月半で、見るからにシベリアン・ハスキーなのだが雑種だそうだ。母親はハスキーなのだが、父親が分からない(^_^;。もしかしたら父親もハスキーじゃないだろうかと思えるほど、うちに来た子は「ハスキー」なのだが、でもその兄弟を見ると、真っ黒だったり真っ白だったりするわけで、となるとやっぱりうちの子も雑種なのだ。

 うちに来て何週間もたつので、彼女(この子は雌なのだ)は完全になついている。家族の中にあっては、一応自分を最階位とみなしているらしく、幼稚園児の三男を見下してはいない。

 遊び半分に、いわゆる「甘噛み」はするものの、一度も家族を噛んだことはなかった。しかし昨日、家族の中では一番上(と彼女がみなしている)のはずの私が噛まれてしまった。

 原因は、些細なことだった。

 家に誰もいなくなると、いつも仕事場に彼女を連れてくる。仕事場は何台ものコンピュータがいつも動いているためか、彼女はすぐに寝入ってしまう。母親の胎内にいるような雑音(胎内では無放送時のテレビのノイズのような音がするらしい)と似た音が部屋に充満しているためではないかと、私は勝手に解釈しているのだが。

 そんな彼女が今日、何かをくわえていた。口をくちゃくちゃ動かしている。仕事場には、彼女の食べ物はないし、犬用のオモチャも今日は持ってきていなかった。となると、なにか異物を口に入れたことになる。「まずい」と思った。まだ幼犬だということもあるだろうが、彼女は何でも口に入れる。以前、プラスチック製の洗濯ばさみを噛み砕かれたこともあったため、気になった。

 何を食べている?と聞いても、もちろん答えない。仕方がないので、彼女の口の付け根の辺りを強く押した。こうすると、たいていは口を開ける。しかし開けない。おかしい。頑なに口を閉ざしている。

 私は力を入れた。両手で無理やりこじあけようと試みる。しかし彼女は頑として口を開けない。どうしよう。

 溜息が出た。「ほんとに、もう…」そう言いかけて手の力を緩めたとき、彼女の口から焦げ茶色の異物が落ちた。「あれだ!」私はすぐさま右手で取ろうとした。瞬間、彼女がうなり声を上げて異物に食らいついた。ところが一瞬、私の手の方が早かったのだ。そのため彼女は、お目当ての異物の代わりに私の右手に食らいついた。

 みるみる血がにじんでくる。二カ所噛まれた。一カ所は歯が移動したらしく、3センチほどのキズになっている。もう一カ所は歯が食い込んだらしく、幅は3ミリほどだが、深そうだ。

 もちろんすぐに叱った。手も上げた。

 すると彼女は、申し訳なさそうな目をして、ドアの方へ移動した。少し怖がっているようでもあった。ドアに身を寄せて、上目遣いにこちらを見ている。謝っているようにも見えた。

 幸いすぐに血は止まった。痛みもほとんどない。

 仕方がないから許すことにした。

 名前を呼ぶが、彼女は近づいてこない。ビビっている。こちらから近づき、頭と下あごをなでてやる。ようやく安心したような顔になった。

 「飼い犬だから主人を噛むことはない」と、普通は考える。しかし今回の例のような事故は、少なからずあるだろう。今回は、私の不注意もあるのだし、まだしっかりしつけができていない幼犬を責めるのは酷なのかもしれない。

 「飼い犬に手を噛まれる」とは、完全に信頼しきっていた相手に裏切られる場合に使われる。つまり「飼い犬」は絶対に主人を噛んではいけないと、人間の側が信じているものなわけである。「飼い亀に手を噛まれる」とか「飼いハムスターに手を噛まれる」などという表現はないわけで、もっと身近なペットである猫の場合でも、そんな言い方はしない。つまり犬は、人間にとって「かなり」信頼のおけるパートナーであるという認識が、昔から人にあるということなのだろう。

 「犬は三日飼ったら恩を忘れない」という。人間なら「一宿一飯の恩義」といったところだが、犬はさすがに人間ほどではないらしく、三日は餌と寝床を与えないと恩を感じないようだ(笑)。それでもちゃんとなつくわけで、やはり信頼できる相手ということになるのだろう。

 じゃあ、当の犬は、ほんとうにそういうつもりなのであろうか。三日飼ってくれたから、この人をご主人様と思うことにしよう…なんて考えているのだろうか。とてもそうとは思えない。さらに犬に「恩」という概念があるかどうかは、はなはだ曖昧だ。曖昧なのだから「ない」とも言えないが、「ある」とも言えない。真偽は犬に聞くしかないが、残念ながら犬とそれほど高度の意志の疎通を図ることはできない。

 では、犬はどう思っているのか。

 もしかしたら犬は、人間と一緒にいることに「している」のではないだろうか。うちの子(犬のことだ)を見ていると、その念がとても強くなる。

 彼女は一人にされるのが大嫌いだ。犬はみんなそうだと言われるが。

 一人にすると、初めのうちはいいが、いつの間にかソファをかじったりしている。誰かが帰ってくると、玄関の扉を開け閉めする音などに反応して、さっそく部屋のドアの内側で座り込む(今のところ室内で飼ってるもんで)。

 仕事場での彼女を見ていると面白い。女房が車に乗って帰ってきて、仕事場の横にある車庫に止めると、そのサイドブレーキの音に反応するのだ。そして車のドアの音。次に玄関の扉を開ける音。この三つがそろったとき、彼女はパッと起きあがり、仕事場と住居をつなぐ扉の前へいく。そして女房がドアを開けるまで、じっとそこで待つのだ。

 仕事場に来客があると、もう大変だ。彼女はちぎれんばかりに尾を振る。振りすぎて、お尻が左右に大きく揺れる。そして来客めがけて突進する。うれしくてしょうがないという風だ。それが初めて来る人であって同じなのだ。あげくの果てには、喜びすぎて失禁することもある。

 そんな様子を見ていると、やっぱり彼女は「人恋しい」のだと思う。人と一緒にいるのが好き、人と会うのが好き、人に飛びつくのが好き、人の手や顔をなめるのが好き…なのだ。

 人が好きだから、犬は人と共に暮らす決心をした。いつのことだか分からないが、犬の祖先はそういう決断をしたのではないだろうか。もちろん「今日から人と暮らすことにする」と決めたわけではなく、人とふれあううちに犬は「こいつらとなら、一緒にやっていける」と思ったのではないだろうか。

 さらに犬は、階級を重んじるという。相手を自分より上か下かで判断するそうだ。だとすれば、犬が人を自分より上と認識することで、人と犬が共生できる環境が出来上がってくる。これは自然なことだったのだろう。

 「飼い犬に手を噛まれる」とは、信頼していた相手に裏切られることを意味する。しかし犬は、人に絶対服従しているわけではない。人と一緒にいたい、人と共生していこうと決め、実行しているのだから、場合によっては「手を噛む」こともあるかもしれない。それは、私の場合のような事故であるかもしれないし、もしかしたら犬の自己主張であるかもしれない。それをして「裏切り」と見るのは、あまりにひどい話だ。

 繰り返すが、犬は人をご主人様と思っていない(と思う)。犬は人と一緒に暮らす「ことにしている」のだ。その際、上下関係はあるものの、いい関係でい続けることは可能であっても、やはり犬には犬の思いや主張があるのではないだろうか。

 絶対服従させるのが、犬とうまくやっていく方法かもしれない。犬の性質からすれば、上下関係を完璧に築き、犬が人の下であることを徹底的に教え込む必要があるのかもしれない。しかし私は、彼らが「人と暮らすことにした」のであるのなら、私たちも「犬と暮らすことにした」のだから、その面では対等と考えたくなってしまう。犬の主張も、たまには聞いてやりたくなるのである。

copyright : Masaru Inagaki(2001.2.10)

読みもののページ

ショートストーリーを中心に、しょーもないコラム、Mac系コンピューター関連の思いつきつぶやきなど、さまざまな「読み物」を掲載しています。
20世紀に書いたものもあり、かなり古い内容も含まれますが、以前のまま掲載しています。