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コラム
父さんかっこいい!
稲垣 優

「父さん、カッコいい! めちゃくちゃカッコいい」

 もしあなたが幼稚園児の父親で、自分の息子がこんな言葉を吐いたとしたら、どう思うだろうか。
 

 このところ、幼稚園年中の三男が、何かにつけて「父さん、カッコいい!」と言うようになった。もちろん私が本当に「カッコいい」なんてありえない(笑)。容貌からしても、年齢からしてもそうだし、自営業の身で、毎日のように事務所(自宅にくっついている)にいて、ぐだぐだと仕事を続けている姿が、幼稚園児にとってカッコいいはずもない。テニスが得意だとか、木工が得意でなんでも作ってしまうとか、プラモデルを作らせたら天下一品とか、そういう特技も持ち合わせてもいない。子どもを連れてよく遊びに出かける方でもないし、悪さをする子どもを見ると、すぐに怒る嫌な父であるはずだ。なのにどうして彼は、そんな「おべんちゃら」を言うのだろうか。

 妻はこの「現象」を面白がり、暇になると「ねえねえ、父さんってカッコいいの?」と三男に聞く。すると彼は「宇宙一カッコいい!」と言う。それを聞いて妻は、キャハハと笑うのである。いい趣味とは言えない。こやつ、嫌味なヤツだ(笑)。

 あるとき妻が、三男に聞いたことがある。

「どうして父さんはカッコいいの?」

 すると三男は、おもむろにこう答えた。

「だってハゲだもん!」

 う~みゅ。

 妻はゲラゲラ笑った。私はちょっとムッとしたが、すぐに気を取り直した。そうだ、そうだったんだ。ずっと前の三男との会話を思い出した。それが、そもそもの発端なんだ…。

 もう半年くらい前になるだろうか。三男と一緒に風呂へ入ったときのことだ。彼の体を洗い、湯船に放り込むと、私は自分の洗髪を始めた。三男は、浴槽のへりにあごを乗せて、じっとこちらを見てる。私が「ん?」という顔をすると、彼は「へへへ」と照れたように笑い返した。そして質問してきた。

「父さんの頭って、どうしてこうなってるの?」

 右手を額にあて、自分の髪の毛をめいっぱい後ろにやりながら言った。私の頭髪が薄いのを彼なりに気遣った表現なのだろう。「毛がない」などのストレートな表現をしないところに、何となく感動した。

 三男の思いやりのある質問のせいだったかもしれない。私はめちゃくちゃな回答をしたのだ。

「ここに毛がないと、カッコいいだろう?」

 すると三男は、きょとんとした目をしていた。しばらく考えていたが、急にうれしそうな顔をし、言った。

「そうだね、カッコいいね。父さん、めちゃくちゃカッコいい!」

 その後、彼は私の頭髪について、何も言わなくなった。しかし半年後、思い出したように言いだしたのである。「父さん、カッコいい」と。

 どうして半年後に言いだしたのかは分からない。この間、彼と私の間に頭髪の話題は皆無だった。もちろん妻と三男の間でもだ。ただ、長男が私をからかうように頭髪のことを言うことがあったので、三男の頭に浴室での会話が、いつまでも残っていたと考えることはできなくもない。

 人間の価値観は、環境によって大きく変化する。その昔、中国では纏足(てんそく)なるものが流行していたと聞く。足の小さい女性が美人であるとの価値観からだ。

 江戸時代の日本には「お歯黒」があった。既婚女性の歯を黒く塗る習慣だ。今では異様に思える習慣も、当時の価値観からすれば、異様でもなんでもないわけだ。

 三男が、頭髪が薄いことを「恥ずかしい」と思うのでなく「カッコいい」と思いだしているとしたら、彼の価値観がそう固まりつつあると言えるかもしれない。風呂場の会話が原因なのかどうかは、定かではない。しかしなんの躊躇もなく「父さん、カッコいい」と言える彼の感覚は、明らかに大人の私たちとは違う。

 私は薄毛の体験時間が長いので、今ではあまり気にならなくなっているが、20代などの若い人で薄毛の人は、大いに気にしていると思う。また薄毛をからかいの道具にする輩もいるわけで、そうなると事態はますます深刻だ。薄毛が過大なストレスを招き、病気にでもなったら、たまったもんではない。

 そんなとき、三男のように「薄毛、カッコいい!」と言える人物が出てきたら、どんなに救われるだろうか。社会の価値観が変われば、今までのストレスは、ウソのように消え去るだろう。

 そして、今、三男が「カッコいい」と言いだしたのは、近い将来、薄毛がカッコいいと思える社会が訪れる前ぶれなのかもしれない…と考えるのは、あまりに身勝手な発想だろうか。

 私が未来の社会に向けて、多大な期待で胸を膨らませていると、隣で妻が、三男としゃべっているのが聞こえた。

「父さんみたいな頭がカッコいいなら、あなたも父さんと同じようになりたい?」

 もちろん「うん」という答えが返ってくるはずだった。私は確信していた。しかし答えは違った。

「いやだ~」

 な~んだ、こいつ。やっぱりただの「おべんちゃら」だったのかあ~。

 幼稚園児は、大人を手玉に取るのである。

copyright : Masaru Inagaki(1999.5.1)

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