気がつくと、貞夫の隣に、黒服を着た男が座っていた。こんな男を車に乗せた覚えはない。
「十時二分七秒っと」黒服が言った。
「何を言っているんだ。あんた、誰なんだ」貞夫が叫んだ。
黒服がこちらを見た。
「山岡貞夫さん、あなたはさっき、お亡くなりになりました。ええっと、十二秒前ですね」
仕事で車を走らせていたことは覚えている。信号待ちをしていたときに、前から大型トラックが来て……。
「そのトラックが、あなたの車に衝突したんですよ」黒服が貞夫の心を読むように言った。そして「私、死神です」と自己紹介した。
「死神? 本当に俺は死んだのか」
「はい、そのとおり。これから私が、あなたを死後の世界へお連れします。おっと、その前に……」死神は、なぜだか、もったいぶった仕草で貞夫の方へ体を向けた。「お亡くなりになったばかりの方の願いを一つだけ、かなえることができます。何にします?」
「へ?」貞夫は驚いた。死んだばかりなら願いがかなうのか。じゃあ……。
「それなら、生き返らせてくれよ」
すると死神は、別段、驚いた様子もなくこう言った。
「それでもいいですが、すぐにまた死にますよ。死に方も同じです」
「そうなのか……。じゃあ、別の人に生まれ変わらせてくれよ」
「それも可能です。ただし時間がかかります。転生には数百年かかるんです。それにまあ、それくらいの年月が過ぎれば、放っておいても誰かに生まれ変わりますよ」
「うーん……」貞夫は、うなってしまった。
「結局、かなえてもらえる願いなんかないってことじゃないか? どうせ死ぬんだから」貞夫が文句を言う。
死神は、少し同情するような目をしてこう言った。
「たしかにそうですね。死神にでもならなければ、結局このまま死んでしまうわけですからね」
「なんだって?」貞夫が叫ぶ。「それだ、それだよ。おれを死神にしてくれよ。そうすれば、今の俺は存在し続けることができる。な、そうだろ?」
「まあそうですが……。でもそういう前例は、ないですし……」
「前例なんか、なくたっていいじゃないか。俺が前例になる。それでいいんだ。な、できるんだろ、俺を死神に」
「できないことはないのですが……」
結局、死神は、しぶしぶと貞夫を死神にした。そして言った。
「死神の数は決まっているのです。ですから私は今日から死神でなくなります。ありがとうございました」
死神が消えた。貞夫は「なんで『ありがとう』なんだ?」と思ったが、気にしなかった。
それからすぐに、貞夫は死神の仕事についた。それは思ったよりも過酷で重労働だった。「こんなに大変だとは思わなかった。むちゃくちゃなノルマもあるし……。これじゃあ死んだ方がましだ」独り言を言う貞夫。そのとき、彼はすべてを理解した。あの死神は「死神の数は決まっている」そして「ありがとう」と言った。あいつは、早く死神をやめたかったのだ。
元死神の計略に引っかかってしまった貞夫は、それから永遠に死神として働き続けなければならなかった。
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