少年はティラノサウルスに追いかけられていた。ヤツはものすごく大きな口を開け、二本脚でどんどん近づいてくる。
「助けて。父さん、助けてー」
自分の声で目が覚めた。
少年はびっしょりと汗をかいていた。怖い夢だった。でもどうして最後に「父さん、助けて」と叫んだのだろう。普通だったら「お母ちゃーん」なんて言うんじゃないかな。もちろん少年は母親を嫌っているわけではない。なのにどうして? ティラノサウルスの真っ赤な口より、そのことが気になっていた。
次の夜、またティラノサウルスがやってきた。少年は相変わらず逃げている。しばらく行くと、大きな杉の木が見えてきた。野原を走り回っていた少年は、とても疲れていた。杉の木の陰に隠れて休もうと思った。ティラノは少年が隠れたのに気づかずに、先へ行ってしまった。
「ふー、助かった。あいつ、本当にしつこいんだから」
少年が一息ついたときだ。ふと頭を上げると、目の前に大きな顔があった。口が耳まで裂けている。ガオーとほえると、牙の間から真っ赤なのどが見えた。
「た、助けてー」
少年は叫んだ。しかしティラノは、少年を追おうとはしなかった。大きな口を開けて威嚇するのだが、それ以上近づこうとしない。少年が逃げれば追いかけるのだろうが、今はその場でガオガオ言っているだけだ。
目が覚めた。なんでティラノは自分を食べなかったんだろう。少年に、また疑問が増えた。
三日目の夜も、ティラノは性懲りもなくやってきた。少年は逃げる。杉の木を見つけて隠れる。ティラノも昨夜と同じように立ち止まり、少年を見てガオガオ言っている。その顔を見ているうちに、少年はティラノのことが嫌いじゃないような気がしてきた。追いかけられることと、ガオガオ言われることさえなければ……。
少年はだんだんティラノがかわいそうになってきた。こいつに人間の言葉が分かれば、仲良くなれたかもしれないのに……。そんな気がしてきた。
横山明美は、三日ぶりに旭丘クリニックを訪れた。息子の健司が急に無口になり、学校へ行かなくなって半年。とうとうこの病院にたどり着いたのだ。
三日前に話をした担当医に、ディスクを渡す。担当医はそれをコンピュータへ入れた。即座にティラノサウルスが現れた。
三夜に渡る動画には、すべてティラノサウルスが映っている。同時に男の子の声と思われる音声も聞こえた。映像は、ティラノに襲われる人物の視線から撮影されたようなアングルだった。
「お母さん、これがあなたです」
担当医が画面を見ながら言う。
「どういうことなんです? 息子は、健司は、それほど私が怖いということなんですか?」
母親は泣きそうな顔で言った。
「そうとも言えますが、そうでないとも言えます。映像の中で、健司君のティラノサウルスに対する思いが変化しているのに気づきませんでしたか。健司君は自分を追い立てて、ガミガミ言うお母さんが嫌いなんです」
明美の表情が、一気に暗くなった。健司に文句ばかり言っていた日々が、一気に脳裏に浮かんだのだ。
担当医が続ける。
「このシステムは、お子さんの心理状態をコンピュータで映像化しています。ティラノサウルスというのは、あくまでたとえですが、お母さんがティラノサウルスにたとえられたということは、忘れないでください」
横山明美は「はい」と小さく返事をし、毎日の自分を深く反省した。もう二度と健司を追い立てたりガミガミ言ったりしないと、心に誓った。
横山明美が帰ると、それを待っていたように、一人の少年が旭丘クリニックへ入っていった。少年は、横山明美が出てきた部屋へ入っていく。中の医者は、彼の訪問を歓迎した。
「健司君、あれでよかったのか?」
「先生、ありがとう。これで母さんも、おとなしくなりますよ」
「しかし君も大したもんだね。あんなコンピュータ・グラフィック・アニメーションを作ってしまうなんて。あのティラノサウルスは迫力あったなあ」
「でしょ。三カ月かかったんだから。それをボクの深層心理の映像にしちゃうなんて、先生も考えたね」
ふふふと担当医が笑う。へへへと少年も笑った。
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