「倉庫の錠前が壊れてるぞ」
N氏が、興奮した声を出しながら家の中へ入ってきた。庭にある倉庫は鉄筋コンクリート製で、N氏が長年かかって集めた「盗品」が納められている。根っからの泥棒は盗難に神経質らしく、N氏は錠前が壊れたことでパニック状態に陥っていた。「早く錠前を取り換えなければ」そう思い、財布を取ると、妻に出かけることさえ告げずに飛び出した。
錠前屋に着く。N氏は店主に、錠前をくれと言った。
「錠前といっても、いろいろあるんですよ」店主が笑いながら言った。
「頑丈で、他人には絶対に開けられないものがいいんだが」
「そうですか。じゃあ、こんなものはいかがですか?」
思わせぶりな表情で、店主が奥へ引っ込む。すぐに古めかしい錠前を手に持って出てきた。それは南京錠のようだった。今まで見たことのあるどんな南京錠よりも頑丈そうで、その上美しかった。表面には彫刻すら見える。
「古そうな錠前だな。あんたの店じゃ、骨董品も売るのかい」N氏が言う。
「骨董品じゃありませんよ。新品の商品です。これはね、カギのいらない錠前なんです」
「カギがいらない?」
「そうです。正確に言うと、この錠前のカギは人の指なんです。新品の錠前に指を入れると、錠前がその指を覚えるんです。もうほかの指では開きません」
「本当かい?」
「もちろん。なんなら一つ試してみましょうか」
そう言うと錠前屋は、彫刻の入った錠前を左手で取り、右手の人さし指をカギ穴に入れた。するとそれまで開いていた錠前が、パチンと音をたてて閉まった。
「これでもう、この錠前は私の指でしか開きません」
錠前屋が人さし指を抜く。もう一度カギ穴に指を入れた。またパチンと音がして錠前が開いた。
「どうぞ試してください」
錠前屋から受け取ると、N氏は今開いた錠前のカギ穴に、右手の人さし指を入れてみた。うんともすんともいわない。それを見て錠前屋が、横から自分の指をカギ穴に入れる。パチンと音がして錠前が閉まる。それを見たN氏が自分の指をカギ穴に入れる。また何も起こらない。
「どうです。たいした錠前でしょう」錠前屋がほほ笑む。N氏から錠前を受け取ると、もう一度指を入れて錠前を開けた。
「で、いくらなんだい」N氏がきく。錠前屋が口にした値段は、決して安いものではなかった。しかしN氏は、無理をしてでも買う必要を感じた。そして言った。
「いいだろう。ところで今、在庫はいくつあるんだい?」
「今、試した錠前は、もう売り物になりませんから私の家で使うとして」錠前屋は言葉をきると少し考える目をした。そして続けた。「あと五つありますよ」
「よし、全部くれ」
N氏は財布をはたいて五つの錠前を買った。
家に戻ったN氏は、急いで倉庫に錠前を付け、カギ穴に指を入れて錠前を閉めた。そこへ、妻が車に乗って帰ってきた。
「隣町のお友達の家へ行ったんだけど、その帰りにね――」
妻が車から降りながらしゃべりだす。N氏は、それをさえぎり、興奮気味の声で、自分が買った不思議な錠前の話をした。
「こんな錠前が街中で使われたらこっちの商売はあがったりだ。だから、店にあるだけ全部買ってきたんだ」
そこまで言って、妻の表情がおかしいことに気づいた。
「どうした?」N氏がきく。
それには答えずに妻は、車の中から段ボール箱を出した。中にはN氏が買った錠前と同じものが、ぎっしりと詰まっている。
「こっちでも売ってたのね。ということは、ほかのお店にもあるかも……」
妻がポツリと言った。それを聞いたN氏の顔色が、みるみる青くなった。もう、錠前を開けるための七つ道具も熟達した腕も、使いものにならない……。
読みもののページ
ショートストーリーを中心に、しょーもないコラム、Mac系コンピューター関連の思いつきつぶやきなど、さまざまな「読み物」を掲載しています。
20世紀に書いたものもあり、かなり古い内容も含まれますが、以前のまま掲載しています。
Copyright Masaru Inagaki All Rights Reserved. (Since 1998)