「お客さん、こいつはどうです。肉と一緒に食べると結構いけますよ」
店主が言った。カウンターでイスに座ったまま、2人のサラリーマンが見上げる。骨太の手の中に、数本のミョウガがあった。
「俺はいらんよ。つぼみを食っているみたいだから、好きじゃないんだ」鈴木が言う。
「僕もあんまり……。それにミョウガって、食べると物忘れがひどくなるんでしょう」山田が言った。上司の鈴木に飲みに連れてきてもらったから賛同したのではない。若い山田は、ミョウガを食べたことがなかった。どう見ても、うまいものには見えない。
「季節のものだし、採れたてだから、ひとつどうかなって思ったんですが……。物忘れがひどくなるなんて、そりゃ迷信ですよ」
店主がぶっきらぼうに言った。せっかくの心遣いを無にされて、少々機嫌が悪くなる。ツマを刻む包丁のリズムが、いつになく硬い。
入り口の戸が開いた。暖簾をくぐって若い男が入ってくる。
「課長、どうもすみません。遅くなっちゃって。山田も来てたのか。すまん、すまん」
課長の鈴木が、店主にビールを2本追加するように言う。
1杯、2杯と杯が干され、やがて、3人ともいい気分になった。調子にのって山田が言う。
「おい赤塚、お前、ミョウガを食べろ」
「な、何だよ、いきなり」
慌てる赤塚を見て、山田が意地の悪そうな目をする。鈴木課長が悪乗りをする。
「そうだ。遅れてきた罰だ。ミョウガを食べて、恋人のことなんか忘れちまえ!」
「そ、そんな。今日は彼女と会ってたわけじゃないですよ」
「いいや、ダメだ」鈴木はしつこい。店主に向かって言う。「大将、この若造に、ミョウガをたっぷり食べさせてやってくれ」
「へい、分かりやした」
店主の機嫌が急によくなる。しばらくすると、肉とミョウガの酢あえが、大皿の中で山になって出てきた。
「こ、これ、全部食べるんですか?」
赤塚が青い顔をする。鈴木と山田は、フフフと口元で笑いながら、一緒に言った。
「そうだ、全部食べるんだ」
ビールの入ったグラスを片手に、赤塚は食べた。がむしゃらに口に入れ、ビールで流し込んだ。食べ終わると、言った。
「ご馳走さまでした。それじゃ、これで」
気分が悪くなったのか、顔が真っ青だ。ガラガラと戸を開けて出ていってしまった。
鈴木と山田は少々バツが悪かった。赤塚に無理やりミョウガを食べさせるなんて、大人げないことをしたもんだ。しばらくの間、2人は黙って飲んでいた。
20分ほど過ぎたころ、山田が言った。
「課長、今日は赤塚を呼ばないほうが良かったかもしれませんね。せっかくの課長のご好意でしたけれども」
「何言ってんだ。俺は赤塚君を呼んだ覚えはないぞ。いや待てよ、俺が呼んだのか?」
「僕じゃないですよ。課長がご馳走して下さるっていうのに、僕が呼ぶなんてことはないんじゃないですか。いえ、ちょっと待って下さいよ。あれー、僕が呼んだのかなあ。分かんなくなっちゃった」
カウンターの前で、2人のサラリーマンが首をひねっている。その向かいで、店主が独り言を言った。
「やっぱり効くんだなあ」
2人のサラリーマンの前には、それぞれ酢の物の鉢がある。中には、もとの形が全く分からないほど小さく刻まれたミョウガが、山のように入っていた。
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