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ミニストーリー
マイタウン安城 (8)
安城人への第一歩
稲垣 優

 車を使わない、私の本当の「安城探検」は、家の近くにある田んぼから始まった。

 息子と、田植えがおおむね終わった田んぼのあぜ道を歩く。しばらくすると、田んぼの中に野良着姿の女性が見えた。それまでの私なら、見てみぬふりをして通り過ぎてしまうところだが、今日は違った。野良着の女性に、気軽に声をかけることができた。

「精が出ますね。田植えですか」

 女性は「ほうだよ」と言いながら振り向いた。四十代半ばの肝っ玉母さん風だ。

「一人で大変ですね」

「今日は補植をやっとるもんで一人だよ。昨日までは機械でやっとっただよ」

 私は、うれしくなった。肝っ玉母さんが、私の語りかけに気持ちよく答えてくれたからだろう。私は満面に笑みをたたえた。

 「よっこらしょ」と言いながら、肝っ玉母さんが田んぼから上がる。あぜ道に止めてある軽トラックから缶ジュースを三本取ると、私と息子に一本ずつくれた。

「飲みん」

 私は喜んでいただいた。息子は少し恥ずかしそうだったが、ヒマワリのように大胆で明るい肝っ玉母さんの笑顔につられて、ニコッと笑ってジュースを受け取った。

 三人であぜ道にしゃがみ、べらべらしゃべった。私が、最近引っ越してきたばかりだから何も分からないと言うと「何でも聞いとくれん。分かることは教えてあげるで」と言ってくれた。

 私は、訳もなくうれしかった。息子も楽しそうにあぜ道を走り回っていた。私はやっと、安城人への第一歩が踏みだせたような気がした。

copyright : Masaru Inagaki (『風車』36号掲載 1991.5.11執筆)

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