もう四度目だ。奇妙な電話が、うちの事務所にかかっている。その理由は、最近まで分からなかった。
最初にかかったのは、数年前だった。電話の内容はこうだ。
「あの~、お宅でカラーコピーやってもらえます?」
当時、弊社では、マックからのカラープリントを目指して、XEROXのカラーコピーを導入していた。コピー機とともにプリンター機としても使おうと画策していたのだが、いかんせん、それを実現するには多大なコストを必要とした(PS出力という形式だと、すっげ~高かったの)。というわけで、カラーコピー機のプリンター化は実現しなかったのだが、カラーコピーの機械だけは、毎月のリース料とともに残ったわけである。
だから電話を受けたとき、私は内心「そりゃあ、うちには、あんまり使ってないカラーコピー機があるから、コピーサービスをやってあげてもいいけど、でもなあ、それを業務にしているわけじゃないからなあ」と思った訳だ。で、丁重にお断りした。
「申し訳ないのですが、うちではコピーサービスをやってないんですよ」
すると相手は、「あ、そう」と言って簡単に電話を切ってくれた。「なんでやってくれないんだよお」と突っ込まれたらどうしようと思ったが、相手があっさりした対応だったので、安心したのを覚えている。
それからしばらくして(2、3年たっていたかもしれない)、また同じような電話がかかってきた。
「あのお、そちらで拡大コピーってやってもらえます?」
当時、弊社では、月々の保守料の高さに降参してカラーコピー機を手放し、普通のモノクロコピー機を使っていた。モノクロとはいえデジタルなので、25~400%の間での拡大・縮小が可能だ。だから電話を受けたとき、内心「そりゃあ、うちのコピー機でも、ある程度の拡大コピーはできるけど、でもなあ、用紙が最大A3までだからなあ。それにコピーサービスを業務にしている訳じゃないからなあ」と思い、やっぱり丁重にお断りしたのだった。
そして先月の末(2002年1月末)に、また同じような電話がかかってきた。忘れたころに似たような電話があるわけだが、今回の相手はこう言った。
「お宅でA0(Aゼロ)のコピーってできます?」
A0はA全とも言われる用紙サイズで、A3の倍の倍の倍の大きさだ(笑)。うちにはモノクロコピー機はあるが、さすがにA0までは対応していない。だから前回のように「できないことはないけどなあ…」などと内心思うことはなかった。即座に、
「うちは、そういうことをやってないんですよ。コピーサービスとか」
と言った。
すると相手は、ちょっと怪訝な口調になり、こんなことを言ったのだ。
「そうなんですか…。電話帳のコピーライターの欄にあったので、やってくれると思ったんですが…」
一瞬、私の目は点になった。「へ?」と言ったかもしれない。
2、3秒の沈黙は、間違いなくあった。そして言った。
「え、いや、あの、そのですね~」しどろもどろだ。「コピーライターというのは、文章を書くことを業務にしているんですよ。コピー機のコピーとは違いまして…」
しかし相手は納得しなかった。
「はあ…」
と返事はしたものの、彼は「だって、電話帳にはコピーって書いてあるじゃん。だったらコピーしてくれよ」と言いたそうな口調だった。
でまあ、電話はそれで終わった。
数年前に始まった「奇妙な電話」の原因が分かったので、すぐさま私は、事務所を飛び出すと、女房のいる台所へ行き(事務所は自宅にくっついているのだ)、事の顛末を話して聞かせた。彼女を涙を流して笑った。
そして今日。2002年2月5日。この文章を書いている最中のことだ。夜も7時をすぎ、そろそろ夕食になるかなと思っていた時間。また電話だ。
「もしもし? こちら○○建設といいますけど、お宅って、青焼きやってくれる?」
ご存じない方もいらっしゃるのでご説明するが、青焼きとは、まあ、簡易のコピーのようなものだ。コピーすると全体が青っぽくなるからか、こんな呼び方がされる。つまりまた「コピーサービス」の依頼なのだ。そして私は言った。
「すみません。うちはコピーサービスをやってないんですよ。ライターなんで」
すると相手の男性は、1月末に電話をしてきた人と同様、怪訝な口調で「え?」と言った。私は「すみませんねえ」と言って電話を切った。
「もう、イエローページに事務所の電話番号を載せるの、やめちゃおうか」と、今日は真剣に思ったのだった…。
※このお話は、本当に全部、実話なんですよ。ホントに…(涙)(^_^;
読みもののページ
ショートストーリーを中心に、しょーもないコラム、Mac系コンピューター関連の思いつきつぶやきなど、さまざまな「読み物」を掲載しています。
20世紀に書いたものもあり、かなり古い内容も含まれますが、以前のまま掲載しています。
Copyright Masaru Inagaki All Rights Reserved. (Since 1998)